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冬の間は天気の良い日が多く、空気が澄んで山で見る景色も格別です。休みの日には、アイゼンやスノーシューを装着して冬の山歩きを楽しんでいます。
 3月と4月も引き続き土日祝日のみの予約営業となりますので、ご注意下さい。現在会員数は158名です。
 
1・2月の活動報告  
新春登山&新年会
 1月15日(日)に行った御岳山ハイキングには、1名の方が参加して頂きました。五日市駅から車で養沢の林道を終点まで走り、そこから歩き始めて御岳山山頂を目指しました。山頂近くの七尾平では、遠くスカイツリーや東京湾も眺める事が出来ました。御岳山頂の神社を訪れてから、登りとは別のルートで下りました。つららの下がる七代の滝を見学し、車に戻りました。ロウバイが咲き始めていたので、小屋へ行く前に深沢の野草園に寄って、ロウバイ、福寿草などを鑑賞しました。
 小屋でゆっくり昼食を食べ、別のグループが行っていたピザ焼き体験も見学して満足して頂けた様です。

燻製体験
 毎年行っている燻製体験に、今年も多くの方が参加して頂きました。2月19日(日)には11名が参加して、ジャンボ燻製機や段ボールによる燻製作りを体験しました。燻製のセットが終わってから、燻製についての講話も伺いました。天候に恵まれて温かかったので、外のテラスで和やかに昼食を食べました。
 会員の藤井さんに今年も講師を務めて頂き、大変お世話になり、有り難うございました。
3・4月の行事予定
渓流釣り体験(上級編)
3月5日(日)早朝集合 16時頃解散予定 
2名まで 参加費2000円(交通費)弁当持参
 渓流釣りの解禁後、最初の日曜日に出掛けて、岩魚を狙います。まだ雪が残っていたり、急な斜面を登り降りしますので、有る程度の体力を要します。釣り具は用意しますが、飲み物、食べ物、雨具は各自持参して下さい。ウェーダー(防水の履き物)や渓流用の釣り具をお持ちの方は、持参して下さい
 渓流歩きには多少の危険が伴います。スポーツ保険等には入っていませんので、自己責任での参加をお願いします。

山菜採り体験
4月9日(日)9時集合 15時解散予定 
8名まで 参加費1500円(昼食付き)
 小屋の近辺や秋川の河原で、ワラビ、ゼンマイ、ワサビ、タラの芽、ウド、ギボウシ、セリ等を探しながら、植物観察も行います。山菜採りの後で小屋に寄って、うどんか蕎麦と一緒に、山菜の天ぷらも作って食べようと思います。現在5名の申し込みがあります。

2017年行事計画
 
 3月 5日(日)渓流釣り体験(上級編)
 4月 9日(日)山菜採り体験&山菜の天ぷら作り
 5月11日(木)テニス大会
 6月 1日(木)渓流釣り体験(入門編)
 7月13日(木)二百名山登山(戸隠山)前日夕方発、長野泊
8月30・31日(水・木)百名山登山(鳳凰三山)テント泊
 9月14日(木)キノコ採り体験
10月 5日(木)キノコ採り体験
11月16日(木)オータムハイキング(今熊山)
12月21日(木)年忘れ登山(日の出山)・忘年会

※これまで行事として毎月予定していたナイトハイクは、希望者が無く 中止になることが多くなった為、今年は計画していません。
 野外で行う行事が殆どですが、保険等には加入していませんので、どの行事も自己責任でご参加下さい。今年も様々な行事を計画していますので、参加のご希望がありましたらご連絡下さい。
090-5192-0779(長山携帯)
又はkeiryuheiko@softbank.ne.jp(長山メール)まで

会費について
 会員の方々から集めた会費は、会報の作成と送付に使わせて頂いています。あきる野市、日の出町、昭島市の会員の方と、青梅市、立川市、羽村市の一部の会員の方の会報は、切手を貼らず直接配布しています。
 小屋のホームページにも会報の内容を同様に掲載していますので、会報の配布が必要無いという方はお知らせ下さい。切手や印刷の経費を節約する事が出来ます。ネットで見るので配布の必要が無い会員の方につきましては、以後の会費も不要ですので連絡をお願いします。
 また、郵送した会報が住所変更の為に返送されてくる場合が有ります。引っ越しの際には、新しい住所をお知らせ下さい。また、脱会の為に送付が不要になった場合にもお知らせ下さい。
 
泉郷チケット
 以前にもお知らせしましたが、セラビリゾート泉郷の会員になっていて、会員価格で貸別荘やホテルに泊まれるチケットが有ります。
 小さいお子さんがいて、他のお客さんに気兼ねしている方には家族だけで泊まれる貸別荘がお勧めです。もし、利用してみたい方がいましたらお知らせ下さい。会報と一緒にお送りします。


出来なくなった事
 
子どもの頃や若い頃は出来たのに、55才になった今は出来なくなった事が色々ある。
 幼稚園の頃から登り棒が得意で弟子がいた。足の絡め方や手の動き等を指南していた。小学生の時、社宅で4階建ての団地に住んでいたが、ある日4階までベランダ側から登ってみようと思った。雨樋を伝って2階3階と登り、あっけなく4階まで辿り着いた。帰りも何の事はなく、するすると雨樋を伝って降りた。今でもコンクリートの建物に雨樋が付いているのを見ると、いくら高い建物でも最上階まで行けると思う。でも、雨樋が体重に耐えられず金具が抜けて落下するのではないかとか、近所の人が通報して泥棒扱いされて警察に連行されるのではないかと心配するあまり、とんと実行出来ずにいる。
団地の1階に住んでいたので、両親が留守で家に入れない時にベランダから家の中に入った。ベランダの鍵は掛かっていたが、外から自力で開けられた。金属の枠にガラスをはめた引き戸だったが、ガタガタと強く動かしていると段々鍵が緩んでくる。更に根気良くやっていると鍵が外れて開いた。今のサッシで試した事は無い。
自転車のチェーン錠に数字合わせの物がある。その錠なら番号を知らなくても開けられた。4桁の錠なら10000通りしか無いから、全て試せば開くのだが他のやり方があった。ダイヤルの4つのリングに順番に爪を挟んで隙間を開け、反対の鎖を引っ張ると隙間が閉じる時と抵抗が無く閉じない時がある。一つずつ確かめて、抵抗の無い数字に合わせて行くと、最大で10×4の40通り試せば開ける事が出来る。自転車のロックとして、鍵を差してバーを押し、スポークを回らなくするタイプがあった。その場合は上から石等で叩いて下に落とし、回転させて上に上げれば解除出来た。しかし、今後その技術を生かす時は、余程切羽詰まった時だろう。
昔の車は、鍵を中に入れたままドアを閉めて閉じ込めてしまい、中に入れなくなる事があった。窓を割って入るには高額の金が掛かるので、ナンバープレートの裏に堅めの針金を挟んでおいた。昔の車は、ドアの内側に着いている突起を引き上げれば施錠が解除された。外側の取手を引くと僅かに隙間が出来る。その隙間から針金を差し込んで突起の下に当て、上に押し上げると鍵が解除出来た。大学生の頃友達に車を貸した時は、「鍵を中に入れて施錠しちゃっていいよ。」と言って貸した。乗り捨ててある車の鍵を、針金で開けて回収していた。今の車は、突起を上げる形式の物も少ないし取手の隙間も殆ど無いので、このやり方は通用しなくなった。
年とともに、やせ我慢が出来なくなった。教員になったばかりの頃、同い年の同僚と体育着について話をした。子どもに半袖と短パンの体育着を強制しているのだから、教員も冬だって半袖シャツ1枚で体育をやるべきだと言うのが俺の主張だった。いやいや大人と子どもは違うのだから、半袖でやる必要はないと言われた。そこで、「半袖1枚で体育が出来なくなったら教員は止める。」と断言してしまった。それ以来、50才前に退職するまで、25年間やせ我慢を通した。最後の職場が青梅で、これまでで一番気温が低かった。それでも最後まで我慢したのは、乾布摩擦と一緒で健康な体を維持できると思ったからだ。今では、冬になるとしっかり厚着をして、風邪を引かないように用心している。
 
沖縄で感じたこと
 1月の2日から6日まで、4泊5日の日程で初めて沖縄に行った。航空券、ホテル、レンタカーも含めて48000円という格安ツアーが取れたからだ。飛行機は嫌いだが、街探検の課題もあるのでこの機会に行ってみる事にした。たまたま、12月に深沢小屋の取材に訪れた人が沖縄に別荘を持っていて、耳よりな情報を沢山聞かせて貰った。その人の薦めで、観光客にはあまり知られていない穴場にも行けた。海で泳いで亜熱帯の魚を見たり、ちゅら海水族館でジンベイザメやマンタを見たり、本土では見られない植物を観察したりした。しかし、自然の美しさだけが沖縄の全てではないだろう。
 沖縄で一番印象に残ったのは、戦争の傷跡だった。本土決戦を先延ばしにするために、沖縄の防衛は最重要課題だったようだ。無数の壕が掘られ、多くの兵力が動員され、民間人を含めて20万人もの人々が亡くなった。ひめゆりの塔、平和祈念公園、陸軍の地下壕等を回るうちに、今も消えない戦争の悲惨さを強く感じた。平和祈念公園には、米軍の兵士も日本人も同等に扱って名前が記されている。戦争に依って失われた命を等しく惜しむ為だ。平和とは自国の利益だけを求める事ではない。今のアメリカの自国優先主義は、世界の平和に悪影響を及ぼすだろう。
 沖縄戦では、集団自決があった。手榴弾で自爆した人、崖から飛び降りた人、降伏せずに自害した人等、失わずに済んだ命が数多く失われた。日本軍に依る民間人の虐殺もあった。離島では、日本軍にジャングルに追いやられ、マラリヤによって亡くなった人も少なくなかったらしい。地下の洞窟にいた重傷の兵士達に、青酸カリ入りの牛乳を飲ませたり、手榴弾を持たせて自決を促すような見殺しもあったという。白旗を掲げて降伏した人は、皮肉な事に敵の兵士に助けられ食料や薬を与えられた。戦争の名の元に、数多くの人々が亡くなった。
 戦後沖縄に米軍が駐留し、未だに数多くの基地が居座っている。日本が沖縄に対して行った事は、一体何だったのだろう。それは、琉球が以前は他国であった事にも由来するのかもしれない。だとすれば、今後は日本から琉球として独立し、観光や貿易で身を立てるのも一つの手段なのかもしれない。ソ連から多くの国が独立した様に。
 那覇の栄町のカラオケスナックで飲んで、「島んちゅぬの宝」を歌った。地元の人が声を掛けてくれて、もう一軒行こうと誘ってくれた。安くて美味しい店に連れて行ってくれて、酒と肴を奢ってくれた。
  最北の「奥」という集落の民宿では、誰隔てなく泡盛や日本酒を振る舞ってくれた。その優しさに何だか申し訳なく思ってしまう。
 日米安保は益々強化され、日本の軍事化が加速していく。防衛の名の元に軍備を増強すれば、これまで守り続けた日本の平和は保てそうもない。テロの標的になったり、イスラム国を敵にしたり、関係の無い他国の戦争に巻き込まれたりするのだろう。
 今こそ、恒久の平和を希求したい。